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Y子さんの日記

メンタル日記 ボーダーラインの症状、統合失調症など

人生の意味・・(親友に言われたこと

友達の言葉(Aさん)

 

「死にたい。もう意味がないし。私は失敗しているし。意味がないよ」(わたし)

「人生の意味は、人を助けることだよ」(A)

 

助けて欲しいと思ってる人はたくさんいるから、その人たちが待っている。私はいつも助けて欲しいと思っているけど、私と同じく誰かに助けてもらいたいと思ってる人たちもたくさんいます。

私はまだまだ役に立つし、死ぬのはもったいないよ。何かできることがあるから、その人たちのために働いてみよう。

 

(私は困った時、いつもAさんに連絡してしまいます。3年間くらい知り合ってる友達です。もともと同僚でしたが、今彼は仕事を変えました。

 Aさんが一番親しい人間です。今の私の生活の中で。

 Aさんと身体的関係がありますが、彼には彼女がいるし、結婚するつもりです。

 Aさんが数ヶ月前、悪い男(実際みんな話を聞くとそういいます。彼女以外の人と関係しているから。)と思ってしまって(自分で思ったのではなく別の女友達がそういったのもあって)「あなたはひどい人」とメールで攻撃すると、返事が来なくなりましたし、電話にも出なくなりました。

 そして、無視が一ヶ月続く間に離人症が起きて、自分の胴体をはさみで傷つけました。

 それから、注射も時々打ちに病院に行きましたが、ある時メールすると、

「無視されて辛い。」

「そんなに苦しんで欲しくない。」といって返事がきたのです。

 彼は私を嫌いになったり怒ったりしていたり、付き合う価値のない人として見捨てたわけではなく(私はてっきりそう思いました。完全に見捨てられたと)私のことが「怖かった」といいます。

 が、またその後、彼と数回寝ました。彼が来た時電話で「まだあなたが怖い」と言いましたが、彼と公園のベンチでおしゃべりしました。

 私がきょろきょろ(公園でやろうとしました)しているので、彼が私の様子を見て取り、

「何を考えているかわかる」

「じゃ、うちに来てよ。いこう!いこう!」

 といって、無理やり彼の手を強引に引っ張って、うちの中に連れて行きました。・・・

 初診のあと、数日後、彼をうちに呼んでまた寝たのですが、そのあと、私が不満になったので、「中途半端だと(いつも来てくれないなら)イライラするからもうこういうのやめる」と言うと彼は「わかった。もうsexしない」といったので、私は少し寂しい気がしています。

 でもしばらくしないつもりです。その後、そういわれてしまうと、何も期待もしなくなりました。

 彼とは普通に連絡を取り合っていますが、顔を見ていません。

 彼に料理の写真を送ったり、彼も旅行の写真を送ったりしてくれます。

 私たちはたぶん、身体の関係がないかぎり、それか、私が執着しすぎない限り、いい友達関係だと思っています。

 彼も私を尊敬しているし(本当です)、私も彼を尊敬してます。

 私は彼の精神を尊敬してます。でも浮気している時点でそうは思えないとみんな言うのでしょうけど、私はそうは思わないんです。

 彼は心のきれいな人で、慈悲深く、人を助けたいと思う人です。虫も殺さないような人です。)

初診

 今日の半日日記です。

 医者さんが変わりました。今の医師に紹介された、今の医師が研修医だったころの指導に当たった先生ということだそうです。

 驚いたのは、私の統合失調症の症状に対応している薬が、一日の最大量の十分の一以下だったということです。一般よりごくわずかな薬で、数年前を考えるとほとんど飲んでないのと同じだったんだ!だからこんなにひどい状況なのかと思ったりしました。

 今までの医師二人は、私の程度をごく軽く見ていたということですが、私は薬の種類を変えないで、量を若干(それで十分の一になります)増やしてもらいました。

 薬を変えるなら、外来治療なら一週間、少ない量から試すといわれ、短い間を望むなら入院だといわれました。入院して、24時間監視されるのは覚悟のいることで、しかも休みをもらわないといけないので、薬の変更は今はやめて、同じ薬で少し増やすという結論に落ち着きました。

 

 ここにいたるまで、一度待合室にもどって考える時間を与えられましたが、私が同じ効果の薬なら、同じ効果で変える事はできないでしょうか、と何度かお願いしたので、(実は、私の話をきちんと彼が聞いてないと思って私はじゃっかん腹が立っていました。希望に沿ってもらえないので不満で、態度も悪くなりました。「人の話を聞け!」「聞いてくれないなら帰る!」と言ってる自分を想像したのですが、想像だけです。)

 

 今までの先生と違って、優しい感じよりは、マジメで誠実な感じに見えました。甘えを許さないような雰囲気も感じました。一瞬、「やさしくない」「こわい」と思い、

「薬の変更は重要なので、少ない量から試さないといけない。もっと悪くなるかもしれないが、それを想定しているなら入院ということになります。入院ならとても悪くなっても、スタッフが助けます」とのようなことを言われましたが、もう一度、頼むとなんとなく怒ってるように見えたので

 「・・怒ってるんですか」と言うと(19歳のときの第一番目の医者に質問したのと同じ質問)

 「怒ってはいない。助けたいと思っているが薬については・・・と説明しだしたんですが、私は医師と患者の間で、私は患者であるけれども私のことを一番良く知っているのは私で・・と思ったり、医師のほうが上の立場だから、逆らえないのかな・・・私は無力だな・・・と何となく無力感をかんじて、涙が出てきました。

 

 以前の病院では私が涙を流す直前に看護師がティッシュをくれるようなところだったんですが、その今日の病院は先生一人で、正面で向かい合い、ティッシュもないので、「これは現実社会においてうまく鍛えられるチャンスかも」

「まともな行動を診察室の中であってもとろうと自分でコントロールするようになるかも」

「甘えさせてくれる状況じゃないから、自然に甘えないで、論理的で明晰な脳みそで対話ができるかも」

「まともな人間の訓練ができるかも」

 と急にポジティブになり、先生のある一瞬のジェスチャーがかわいく思えて、笑いました。

 

 帰りのバスで、「いいチャンスかもしれない」と思って、希望を持っていますが・・・・

 

 実は、以前の医師は女で、その前は年配のクリスチャンの医師でした。

 

 今の医師はおそらく50代くらい(?)・・・私は彼をたぶらかすことができるか一瞬バスの中で考えていました。たぶらかしがいがあると思ったんですが、そんな馬鹿なことは自己嫌悪の新たな材料になることはわかっているので、考えないようにするでしょう。

 それに私自身を破壊する材料にもなりえるので・・・一瞬そんな考えが浮かんだだけです。

怒りのエピソードは色々です

色々とこの2,3年の間の様々な不幸(ある人に見捨てられたこと、2015年の夏から深層心理を専門とするカウンセラーに深層心理をほじくられて今も自己嫌悪と怒りとイライラに毎日襲われています)を思うと、イライラして・・

それと、部屋の掃除がどうでもよくなるので机のものをただ腕でわっとのけて床にすべて放り出して、床に物が散乱していたり、その結果、探し物が見つからずに時間を無駄にして更にイライラするという状況など、けっこうイライラがひどいです。

 

人前でかんしゃくを起こすほどではないですが、野球のバットか金属のバットで家具とかテレビとか壊れにくいものを壊れるまで打ち続けることができたらいいな、とか思います。電柱でもいいのですけど。

 

皿の上に残飯のような下手な料理のものが載っていると、風呂場に皿ごと投げて、割れてしまっても気に止めないだろうと思ったり。

 

でも最近お金の事をあまり考えておらず、買えばいいや、どうせ安い皿しか買わないしと思って、食べるたびに洗面所に投げつけて割ってしまったら、毎日皿やマグカップを割ったらスッキリするだろうな、なんて考えています。

 

イライラ、怒りを起こさせる人間を数人思い出すからです。

 

人のプライバシーを詮索してそれを他人に言った人とか、私のことをよく知りもしないで、「くらい性格の人」と別の人に話している以前の同僚とか、ニコニコしながら「そうです、痛いんです」(リストカットについて、私が「痛いから切らないと思う」というと、そのカウンセラーはニコニコしました。どこが面白いんでしょうか?

痛みを知らないのに知っているかのように、「そうです、痛いんです」といいました。

そんなのわかってるよ、あなたに言われなくても、と思いました。

それに、「そうです、痛いんです」って自分が切ったことなさそうなのに、なぜそんな言い方ができるのか、と思いました。

しかもニコニコしてました。

あなたはきったことがあるのか?

切ったことがないから、のんきに笑っていられるんだろう。

ここにカッターがありますよ、切って御覧なさい、全然笑えませんよ。

実際の痛みより、こころの痛みがひどくて。悲しくなりますよ。

そんな笑顔になんてなれませんよ」

と今電話して言ってやりたいと思うこともありますが、その行為そのものが自己破壊なのでしません。

その深層心理を扱うカウンセラーはいつものんきにニコニコしているので、私は不愉快な気分でした。

私の話がそんなに面白い?幸せな人だね。軽く扱わないでよ。

笑って聞ける話じゃないよね。

(そういう顔かもしれないですが。)

と内心思いましたが言いませんでした。

 

その人が人格障害者が嫌いだとすでにわかっていたからです。

 

なぜならこういうくだりがあったためです。

「あなたは本当にボーダーラインかなあ・・・発達障害じゃないのかな」

私の内心:

(よくこうやって数回しか合ってないのに判定できますね。出来損ないの思い込みの激しい人なんじゃないかな)

 

「人格障害者からうける、ウッとしたものがないから」

 

これってつまり、「ウッとしたもの」が嫌だという意で、すなわち、この人は人格障害者が「嫌い」というのがわかるのは誰にも明らかなことですよね。

いかにも嫌そうに「ウッと」と胸を押さえるジェスチャーをしてました。

私は自然と、(この人、発達障害の人のほうが人格障害の特徴がある人より好きなんだな。あるいは、発達障害のほうが優れてるとか思ってるのかな)と思いました。

そしてなんとなく、ボーダーラインぽくない(自分ですでにその特徴を自覚してますから)人間をしばらく演じましたが(相手の期待に応える性分でそうなりました)、結局のところ、激しい自己嫌悪で死にたくなったので、やめさせてもらいました。

 

医療事故だと思っています。

 

「発達障害の人は素晴らしい才能をもっていることがある」とか言ってました。

「私がボーダーラインと判明しだしたとしたら(このとき、私ははっきりとそれを医師から言われていませんでした。今見てもらっている医師に初めて色々な病歴を話した初回に「ボーダーラインかもしれないと私自身思っています」というと「そう私も感じます」と言われました。

入院の理由が2回とも人からの拒否を感じて、自分を傷つけているという点からそう思ったそうです。

拒否されて、自分はひどい最悪の見下げた軽蔑に値する人間だ。自分は馬鹿だ。

そう思ったんです。)

このカウンセラーは逃げたくなるのかもしれないな。わるいのに当たったとか思うんだろうな。つまり患者をえり好みしてるんだ。」と思いました。

 

発達障害の人と人格障害の特徴を

(実際これは「人格」の障害ではなく、症状の複合群があると私は本を読んでそう知識を得ています。人格が優れないという意味ではないのです。「医学上の病名で「人格障害」と言われている症状群の一部の特徴が見られる人」と認識された方がいいと思います。

 ネット上で偏見とかおかしい知識があふれていると思います。

「人格障害」がたまたまそのような医学上というか医学業界上のネーミングにすぎないですが、世間ではネガティブイメージがついていて、このカウンんセラーもそうなのかな、と思いました。

つまり偏見を持った人かな、と。

その時点ですでに信頼は崩れていたといえるので、早々にやめるべきでした。

しかし、ひきとめられて、少し続け、やはりおかしくなったので辞めた次第です。)

比べて、優劣判定をするような人は、(それをしてもかまいませんが、それを患者に感じさせるような人は、)本当に臨床心理士と言えるような人種なのかな、と思いました。

肩書きがそれでも、本物ではないな、と思いました。

 

 

<話題が錯綜してすみません>

<もとの話題にもどります>

 

新聞紙を丸めて机に思い切りたたきつければいいのかもしれません。でも同じアパート内の別の部屋の住人が何かおかしいと思うかもしれないので、できません・・・

ボクシングでもやったらいいのだろうかと思ったりです。

 

タイトルが「怒りのエピソード」ですが、「自己嫌悪のエピソード」も100個くらいあるだろうと思います。

 

昔の人のことわざで、長く生きるほど恥が増える。というのがあったのですが、まさに言い当てているなと思います。

わたしへの手紙

プラトンの考え。

・・この世に真の三角形はない。それはイデア界にある。・・・

 

三角形のような単純なものでさえ、「真」ではこの世ではありえないのです。

真・・・パーフェクト、理論上のものです。 

 

ならば、複雑多岐な人間というものが、完璧なんてことがありえるのでしょうか。

 

完璧を目指すのいいことだと思います。でも100であることが「価値」でしょうか。

70でも60でもそれは「価値が0」と思いますか?

 

真の三角形はこの世に存在することができない。真に近いものは存在できます。

土の上に描いた三角形は100ではなく70の三角形ですが、いちおうこの世にあります。

 

私たち人間も・・・完璧ではないからといって嘆き悲しむのは・・・生きている時間をしっかりと享受してないのではないでしょうか。

 

この世に価値などない。空しい。神も存在しない。

 

映画をみて感動したことは?

演奏を聴いて感動したことは?

人のやさしさを嬉しく思ったことは?

 

それらの時を思い出してみてください。

 

それらは本当に価値がないと思いますか?

その感動や嬉しさ、心が温まった瞬間に「こんなもの価値がない」と思えるでしょうか。

 

その瞬間を大事にすることが意味ではないかななんて思います。まずは生きている時間をしっかり享受しなくては・・・それからでも遅くありません。

価値がない、と決めてしまうのはあまりに早すぎる。

気分転換のために書いています。やや不調です。/本について

昨日から、昨日の晩から不調を感じています。昨日、とても苦しくて、家で泣いたし、寝る前にも泣きました。

 

なぜか・・・祖母を思い出しました。彼女は私のことをよく知らない。かわいい孫だと思っています。祖母の顔を思い出すと、彼女が生きている間は死ねない・・と思いました。

祖母の知らないところで私がこれほど苦しんでいることをしたらきっと悲しむのだろう。

私が自殺したら、とても悲しむだろうと思った。祖母は長生きしていますが、長生きして最後に孫の自殺を聞いて、寿命を終えるなんて、寂しいかもしれないと思いました。

 

実は、死にたいんです。

昨日から、そして今もです。いつもそう思いながらもその気持ちを心の底に静めて、自分をごまかしています。仕事をして、趣味をして、人と話して、おしゃべりして、そうやって、死にたい気持ちを無視して、ごまかして、向き合うことを避けています。

でも、そのごまかしができなくなることがあります。

ふとした理由でそのごまかしがごまかしであると痛烈に感じます。

 

「空しい、何をしても空虚、意味がない。」

「私は、みんなにどうでもいいと思われている。」

 

さきほど、人から連絡があるかもしれないと思って、メールボックスを開けると誰一人として何の反応も示してませんでした。

「ああ・・・私は・・そこらの空き缶とか、石とか、新聞紙とか、空き瓶とか、そういうレベルだ」

と思っていたところです。

廃品のほうがリサイクルできるのでいいのかもしれません。

 

「べつにどうでもいいのだろうな・・・。」と思いました。

 

中途半端に、かまわれるくらいなら、一切人との連絡を絶ちたい気持ちにもなりました。

私の読んでいる本に、「中道を行く」ということが書いてありました。(※)

でも私にはとても難しいことです。白黒ではない、グレー。100が0という考えではなくその中間を行くということです。
※自傷行為とつらい感情に悩む人のためにーボーダーラインパーソナリティ障害(BPD)のためのセルフヘルプ・マニュアル ロレーヌ・ベル著

 

上の本を時々開いてみます。エクササイズというのがあって、自分のことを客観的に見ることができるものがありました。

・感情を書く

・その時の対処を書く

・その感情を起こさせた事件をかく

・その対処がよかったかどうか考えて、よりよい対処法を書く

 

これは良いと思います。おすすめです。

昔のこと

友達のA(私と関係のある男ですが、ただの友達で、彼女がいます。私に本気の気持ちは全くありません。)から2,3日音沙汰がないので、寂しく思っています。

でも以前は24時間以内に返事がないだけでとても落ち込むことがあり、「私についに愛想をつかした」「私のことがどうでもよくなった」と思って、焦り、メールボックスを開けないまでになりました。

なので私は別のメールアカウントを作って、彼とその他の人とやりとりするメアドを変えました。

昨日の朝はとても落ち込みました。いつも涙を我慢しているような感じです。

母親からの言葉を(私を傷つける、ちょっとした一言)思い出して、とても暗い気持ちになりました。そして、母がそう言う理由は私の病気にも関係があり、症状にも関係があると思うと、どうして私がこの病気に・・・と思いつめて、そして彼(A)から返事がない・・と思うと世界に取り残された気がして、トイレの便座に座りながら、泣きました。

とても苦しい気持ちでした。

今朝はそこまでではありません。

ただ毎日朝起きて、誰かに「おはよう」といえたらいいのに・・と思います。

 

いつも天井を見上げて「私はどうしてここにいるの」「どうして毎日この仕事のことを考えているの」「どうしてあのAと関係をもったのか」「常軌を逸している」「おかしい」「ここにいていいのか」「このアパートの部屋は私の部屋なのか」「恋人が一生できないのでは」「一生孤独なら今死にたい」「老けたくない」

と感じるのです。

でも起き上がって顔を洗うと、そのような気持ちはどこかへ行きます。

 

昨日の朝はくらい気持ちだったので、仕事をする気力がないまま仕事に出ました。昨日のは気楽なほうなので、大丈夫でした。

 

昨日、一昨日は辛かったです。常に自己嫌悪して、イライラして、自分を嫌に思っていました。

 

昨日、良くない発言をしたと思いました。

子どものころ、その人は体罰を加えられた話をしました。何かよくないことをすると、正座させられたとか言ってたのですが、私は自分の場合は、予測不可能に母の気分が悪い時によくたたかれたと言うと、悲しそうな顔をしたんです。

その人に対して、悲しい気持ちにさせたのを思うと、この発言はまずかったと思いました。

私は別にその時同情を求めてはいなかったので・・・。

母は、機嫌のいいときは、やさしく面白い人で、機嫌が悪いと、今のことに加えて、一週間前の失敗、一ヶ月前の失敗、三ヶ月前の失敗について「あのときもこうだった」「あのときもこうだった」と責め立てる人でした。なので私は絶対に失敗をしたくないと思っていました。失敗を一度すると、一度だけ怒られるのではなく、何度も何度も未来に怒られるからです。

機嫌が悪いと、母はいらついて私をすぐたたく人で、私はびくびくしてたんです。母が機嫌が悪いと距離をとりました。

今でも機嫌が悪くなると、ヒステリックに叫ぶ人で、私はこの間実家で、びくっとした恐怖を感じました。「うるさい!」「だまってて!」と。

とても怖くて、何もいえなくなりました。

 

あと彼女は私の非意図的なことにも文句を言って私を常に責めていました。髪の毛が一本床に落ちていると私を責めました。私は髪の毛が落ちるのを防止することができないので、「不条理」「解決法がない」と思っていても、ただ我慢して黙っていました。

「また落ちてる」

「また落ちてる」

でも長い髪の毛を強要していたのは母です。楽器を弾いた時によりキレイに見えるから、という理由で私は長年長い髪の毛を強要されていました。私は時々短くしたい、ボーイッシュにしたいと思うこともありました。でもダメと言われたんです。

中学生で初めてショートカットにすると、周りに似合うといわれ、今もロングヘアはほとんどしません。

大人になると、母も私には髪の毛が短い方が似合うと思ったようで、何もいわなくなりました。

手助けをしにいく

いつも自分の存在の意味がないと思うんですけど、ある友達に言われました。

人を助けるためにいる、と。

私の仕事の場合、教える仕事なので、習いたい、スキルを獲得したいと思っている人たちを助けると思えるのでいいのかもしれないと思います。

私は人を助けるのが好きですし、人の辛い気持ちを思うと、助けたいと思います。

助けるべきだと思っています。人間として当然の権利が奪われている人は特にです。

「仕事しなきゃ」

じゃなくて

「学びたいと思っている生徒さんたちの手助けをする」と考えるとよりやる気が出ます。

私の仕事はあまりお金にはなってないですけど、一応生活できているのは(以前何もバイトにも受からなかったことを考えると)幸せといえるかもしれません。