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Y子さんの日記

メンタル日記 ボーダーラインの症状、統合失調症など

偏見や差別など

私はもともとビキニを着たことがないですが、今着られなくなりました。着られるけどおなかに切り傷が残ってしまったからです。少し後悔しています。

数ヶ月前、Aは私を怖くなって避けていただけで、「こんな取るに足りない人」「この人には疲れた」「こんな人どうでもいい」と思っていたわけではなかったので、今も友達関係です。Aは私を大事な友達だと言ってくれています。

でも見捨てられたと思って、とても苦しくてたまらず、この苦しみから開放されたくておなかを刃物で傷つけてしまったんです。

私は演奏をするのでステージで半そでになりますから、腕を避けました。

すでに腕には切り傷がついていますが、人に指摘されたのは一度だけです。はっきりとものを言うちょっとずけずけした友達に「なにこれ、どうしたの」と言われただけです。

ついでに私は足にも傷があります。父親がそれを見て残念に思っていました。

それも十年以上前の恋人とけんかをして腹立ちがピークに達して自分でキッチンナイフで切ったんでした。

だいたい腹が立つと切ることが多かったですが、おなかの傷は、見捨てられた悲しみから逃げるためについてしまったものです。

痛みを感じると、嫌な感情を忘れます。そっちに注意が向いて、それまでの苦しい感情から開放されます。

でも傷跡は一生残るので、残念な気持ちです。半そでになっていても、誰かに気がつかれてるんじゃないかなと不安になります。バスの中で手すりを握っていて腕を伸ばしている時に、座っている人から見えたりもしますし、日光が当たると、傷がけっこうはっきり見えるときもあります。気にして友達がそちらに目を移した時に手をひっこめたこともあります。日常生活で百パーセント楽しめる状態でないことがあります。

ある、私と同じ、でも私よりひどい自傷行為の友達が以前いて(その人とは今疎遠です)、その友達と共通の友達が「あの人おかしい」「腕にすごい傷あるよ」「精神構造おかしいよ」と私に言いました。

私の傷の場合、やはり気がつかれないことが多いです。それは幸いだったと思います。でも心に何かの事情があって、自傷をしてしまう人は他人を傷つけたくないという思いがあるんだろうと思うんですが、他の人が見て「精神構造おかしい」「あの人あぶない」と言われてしまうのは、残念な気もします。本人なりに苦しんでの結果なんだと思います。

その友達は他の友達にも悪口を言われていて(でも実害を与えたわけではありません)どうして精神的な悩みを持つ人から害を受けたわけでもないのに悪口をそんなに言うのか、私にはわかりませんでした。

自分がその人と同じ経験や生い立ちなら同じことをしているのに、と思います。自分が該当しなかっただけでラッキーだとは思わないのだろうかと思います。

 

統合失調症にしても同じで、その人たちは心が優しくて善良な人たちであることが多いと思います。それなのに、自己主張や自己の権利を主張する能力が欠けているために精神科医に食い物にされて長期入院させられている人々も存在するので(私はそういう閉鎖病棟に10日ほど入ったことがあり、まったく不当な経験でした。外来で十分済むのに出されませんでした。外部との連絡手段も奪われました。あと虐待だと思うんですが、入浴させてもらえませんでした。連休期間だったので風呂担当の職員がいないからだそうです。)、私はそれらの人々を助けるために何かしなければならないといつも思っています。

演技性パーソナリティもあるのかも(私の病状)

ふと思ったことです。私は演技性かもしれないと。

演技性ではないと今まで思ってきました。その説明によると、「あさはか」「虚言癖」というのがあり、それは私にはないと思ったんです。

でも、すべて百パーセント該当するわけではありません。人はそれぞれ違うので100人いれば100通りの症状を持つ人がいるわけですから。

でも私はいつも他人を演じているような気がしていることがあります。その人が自動的に私に憑依する感じがするんです。

なぜか、ふとその人になるんです。

私は影響されやすく、ある友達のことを考えていたらその友達の私がいいと思う特徴を自然に真似ていることがあります。

私は悪意あるうそはつきませんが、善意あるうそもあまりつかなくて、無意味なうそをついているようなことがあります。

たとえば、人を笑わせたいからすこし盛って話すとか、これは悪意も善意もありません。自分のため、なのは確かでしょう。人を笑わせて愛されたいからです。人を楽しませて私も笑いたいからです。

私はたまに大げさに笑ってることもあるかもしれません。

これはサービス精神が旺盛なだけのことですが、それも演技性の一種の特徴なのかな・・・とふと思いました。

 

それと、私は高校時代から性的な魅力がある人に憧れていて、男でも女でもそういう人になりたいと思っていて、私自身がそれらの特徴を自然に取り入れてることがあります。

何かで演技性の人は、性的な魅力をアピールしようとすると書いてあったのを見ました。

私はたしかにそうだろうとは思いつつも、逆に人に何か自分の欲求を漏らしてしまってるのではないかと思って恥ずかしくなり、誰にも会いたくなくなることもありました。

 

とはいっても、時々、つまらなさをかんじると、性的にアピールできるワンピースを身につけて化粧をして、誰に会うでもなく、町中を一人で歩くのが好きな時がありました。

それとか知らない人と関係をもったりなどです。

 

でも以前の先生に言うと、「演技性も境界性人格の特徴の人も、クラスターB群」と話していました。

私は時々思うんです。境界性人格を演じている演技性人格なのでは?

と。

それか、ただ人格障害ではなくて統合失調症だけの人では?

と。

 

でも先生は「あなたが何々病ということを決める事にこだわるのは意味がない。あなたが良くなることが大事でしょ」と言うんです。

 

白黒思考は境界性人格の特徴で、私はそれを自覚していますが、あいまいなものの存在を理解できないことがあり、そのストレスがあると、統合失調症が悪化する気がしてきます。

 

一昨日にAと電話で

「新しい電話のプランにして、あなたと電話しても電話代がかからないように使用と思ってる」

「そんなにたくさん電話かけられても・・・」

「今、ただ電話代がかからないように、って言ったの。あなたに今よりもっとかけるなんて言ってないよ。そんな馬鹿じゃない」

「馬鹿だなんて思ってないよ。それにそれならいいんじゃない?」

「でも私があなたに執着している馬鹿だと思ったよね」

「思ってないよ」

「でもたくさん電話かけられても困るって言ったよね。今と同じくらいの頻度でしか電話しないし、愛されてもいないのにその男のために電話を変える女を馬鹿だと思ったよね。」

「そんなこと言ってないよ」

「でもたくさん電話かけると思ったんでしょ。私をそういう馬鹿な女の類と一緒に見て、私を馬鹿だと思ったよね。」

「ちょっとまって。そんなこと一言も言ってないから。そんなネガティブ思考はやめてよ。たくさん電話かけるつもりなのかな?って思っただけで馬鹿だなんて全く思ってないよ。あなたは馬鹿な人じゃない。馬鹿な人だと思ったことは一度もないよ」

「でも、恋人でもないのにたくさん電話するような女は馬鹿でしょ?そしてたくさん電話するって思ったでしょ?それは私を馬鹿だと思ったのと同じ」

 

でも、混乱したので、でも内心

「自分が自分を馬鹿だと思ってるだけで、彼が馬鹿だと思ってないのはたしかだ。

でも私の論理からすると、彼は私を馬鹿だと思ったはず。

でも私は彼が私を馬鹿だと思ってないのは理解できる。彼の口調から馬鹿だと思ってるようには思えない。

でも彼は私が、恋人気取りだと思ったのは確かだろう。すると、やはり私は馬鹿」

と思って本当に精神的な危機感(私は統合失調症の離人やパニック発作が出るような気がしました)をかんじたので、すぐに電話を切って眠りました。

 

今客観的に考えると、このいきさつを見ると統合失調症のようです。

 

私の統合失調症はいちおう病名はそうなってますが、軽い程度で、しかも、現実検討能力も高いほうです。

それと、その症状が出ているときと出ていないときがあるのだと自分では思ってます。

先生は

「軽いからそんな絶望しないで」

「十分社会生活できてるし、しかも能力も高い。外見だっていいし、あなたはすごく恵まれているんですよ」

糖尿病のようなものだと思ってください。薬を飲みながら症状を抑えて、十分社会で活躍できるんですよ」

と言ってくれます。

 

 でも時々、思考が滅裂したり、妄想に取り付かれてるようなことがあります。それを自覚するので、私のような境界性の患者は辛いんだろうなと思うこともあります。

 

今朝は気分がよく、彼に

「ごめん、昨日変だった。今まったく大丈夫」とメールしたら

「よかった。今日一日がんばってね」と返事。

最近は安定です

先生が変わり、新しい先生(S先生)はあまり話を長く聞くことができないようです(以前の先生には30分以上話を聞いてもらうことができました。)が、薬の処方がシンプルになり、そして状態がかなりよくなっています。

セロクエルの数を増やして、他の睡眠薬をなしにしました。

今統合失調症の症状への薬(セロクエル)とうつ状態改善の薬の二種類のみです。

かなり良くなっているので、ありがたいと思いました。

それに新しい先生は、前の先生の研修医時代の先生なので、経験が多いです。

 

人との関係において、気分が左右されることが多いです。

「私のことを馬鹿だと思ってる」

「私のことを取りに足りない存在と思ってる」

と考えがちだと話したら

「それは心理療法で、早い解決を求めないで、解決するように。薬ではできない。」とのことを話していました。

 

紹介された心理療法の先生にアポイントメントを取るかどうか考えています。

本を読んで解決できるような気もするのです。

自己治療本を持っています。

「自分でできる境界性パーソナリティー障害の治療ーDSM-Ⅳに沿った生活の知恵」(タミ・グリーン)・・・①

「自傷行為とつらい感情に悩む人のために ボーダーライン・パーソナリティー障害(BPD)のためのセルプヘルプマニュアル」(ロレーヌ・ベル)・・・②

 

①はかなり読み込んでいて、ある時常に携帯していました。困った考え方や感情に支配されると見てみました。色々とこうしてみる、ああしてみる、というアドバイスがあるのでそれをやってみると乗り越えることもあったので良いと思います。

薄い本で、わかりやすいし、字も大きいです。

自分を好きになるためのページというのがあり、私はあのときこういうことをしてうまくいった、人に認められたことがあった、ということを書き連ねています。

だからもう一度頑張ってみて絶望しないように、と。

 

②はまだ途中しか読んでいなくて、これは段階を踏んで治療に取り掛かるかんじのものです。この本に書いてあることも、賛成できる点や、これはいいな、という点があります。

・仕事

・休養

・余暇活動

・人との交流

・楽しみ

 

などバランスよすることが大事、と。どれかに偏るのはよくないとありました。

 

私の先生(S先生)のアドバイスでは

人ともっと交流して、遊びと仕事と自分一人の時間と、バランスをもって、でした。

それと、睡眠薬をカットされたので眠れない問題があるというと、一日の中で、運動して、でした。

私は寝る前にセロクエル(S先生は少し増量)を飲みますが、朝の3時~4時に目覚めることも多いので、先生はただ運動をして、と言ってました。なので朝早く起きたらウォーキングと体操やヨガをやるようにしようと思いました。

あと体重も少し増加したことを言うと、それも運動で解決して、といってました。

なのでこれから運動をしていこうと思ってます。

 

私は夜にネガティブな考えを持つことが多いですが、(先日また空虚になり何もかも、無駄、あの人は私を馬鹿だと思ってる、馬鹿じゃないと釈明しようとするとますます馬鹿になる、しかもうざい人間になる、うざさに相手があきれている、あきれてこんな人は付き合ってると疲れると思ってる

という思考をしてました。

でも朝起きると、気分がよくなってます。だいたいそうです。

 

幸い私の親友(Aさん)はとても優しくて、どこまでも私を見捨てないでくれているのです。感謝して、彼を信じようと思っています。

私はAさんが好きですが、彼はフィアンセがいます。でも私と時々セックスしているので他の人たちは悪い男といいますが、私はそうは思ってません。

彼は本当は私と寝るのは悪いことだと思ってるんですが、私に強く誘われると断りきれないだけなので、彼は悪くなくて、どちらかというと私が悪いと思ってます。

彼には感謝してます。

半年前までは、彼にたびたび見捨てられたと思って、大量に薬を飲んだり、身体を傷つけたり、彼に怒ったり攻撃したりしましたが、彼は一度私を「こわい」と思って離れましたが、今は私のことを友達として大事には思ってくれています。

人生の意味・・(親友に言われたこと

「死にたい。もう意味がないし。私は失敗しているし。意味がないよ」(わたし)

「人生の意味は、人を助けることだよ」(Aさん)

助けて欲しいと思ってる人はたくさんいるから、その人たちが待っている。私はいつも助けて欲しいと思っているけど、私と同じく誰かに助けてもらいたいと思ってる人たちもたくさんいます。

私はまだまだ役に立つし、死ぬのはもったいないよ。何かできることがあるから、その人たちのために働いてみよう。

 

(私は困った時、いつもAさんに連絡してしまいます。3年間くらい知り合ってる友達です。もともと同僚でしたが、今彼は仕事を変えました。

 Aさんが一番親しい人間です。今の私の生活の中で。

 Aさんと身体的関係がありますが、彼には彼女がいるし、結婚するつもりです。

 Aさんが数ヶ月前、悪い男(実際みんな話を聞くとそういいます。彼女以外の人と関係しているから。)と思ってしまって(自分で思ったのではなく別の女友達がそういったのもあって)「あなたはひどい人」とメールで攻撃すると、返事が来なくなりましたし、電話にも出なくなりました。

 そして、無視が一ヶ月続く間に離人症が起きて、自分の胴体をはさみで傷つけました。

 それから、注射も時々打ちに病院に行きましたが、ある時メールすると、

「無視されて辛い。」

「そんなに苦しんで欲しくない。」といって返事がきたのです。

 彼は私を嫌いになったり怒ったりしていたり、付き合う価値のない人として見捨てたわけではなく(私はてっきりそう思いました。完全に見捨てられたと)私のことが「怖かった」といいます。

 が、またその後、彼と数回寝ました。彼が来た時電話で「まだあなたが怖い」と言いましたが、彼と公園のベンチでおしゃべりしました。

 私がきょろきょろ(公園でやろうとしました)しているので、彼が私の様子を見て取り、

「何を考えているかわかる」

「じゃ、うちに来てよ。いこう!いこう!」

 といって、無理やり彼の手を強引に引っ張って、うちの中に連れて行きました。・・・

 初診のあと、数日後、彼をうちに呼んでまた寝たのですが、そのあと、私が不満になったので、「中途半端だと(いつも来てくれないなら)イライラするからもうこういうのやめる」と言うと彼は「わかった。もうsexしない」といったので、私は少し寂しい気がしています。

 でもしばらくしないつもりです。その後、そういわれてしまうと、何も期待もしなくなりました。

 彼とは普通に連絡を取り合っていますが、顔を見ていません。

 彼に料理の写真を送ったり、彼も旅行の写真を送ったりしてくれます。

 私たちはたぶん、体の関係がないかぎり、それか、私が執着しすぎない限り、いい友達関係だと思っています。

 彼も私を尊敬しているし、私も彼を尊敬してます。

 私は彼の精神を尊敬してます。でも浮気している時点でそうは思えないとみんな言うのでしょうけど、私はそうは思わないんです。

 彼は心のきれいな人で、慈悲深く、人を助けたいと思う人です。虫も殺さないような人です。

初診

 今日の半日日記です。

 医者さんが変わりました。今の医師に紹介された、今の医師が研修医だったころの指導に当たった先生ということだそうです。

 驚いたのは、私の統合失調症の症状に対応している薬が、一日の最大量の十分の一以下だったということです。一般よりごくわずかな薬で、数年前を考えるとほとんど飲んでないのと同じだったんだ!だからこんなにひどい状況なのかと思ったりしました。

 今までの医師二人は、私の程度をごく軽く見ていたということですが、私は薬の種類を変えないで、量を若干(それで十分の一になります)増やしてもらいました。

 薬を変えるなら、外来治療なら一週間、少ない量から試すといわれ、短い間を望むなら入院だといわれました。入院して、24時間監視されるのは覚悟のいることで、しかも休みをもらわないといけないので、薬の変更は今はやめて、同じ薬で少し増やすという結論に落ち着きました。

 

 ここにいたるまで、一度待合室にもどって考える時間を与えられましたが、私が同じ効果の薬なら、同じ効果で変える事はできないでしょうか、と何度かお願いしたので、(実は、私の話をきちんと彼が聞いてないと思って私はじゃっかん腹が立っていました。希望に沿ってもらえないので不満で、態度も悪くなりました。「人の話を聞け!」「聞いてくれないなら帰る!」と言ってる自分を想像したのですが、想像だけです。)

 

 今までの先生と違って、優しい感じよりは、マジメで誠実な感じに見えました。甘えを許さないような雰囲気も感じました。一瞬、「やさしくない」「こわい」と思い、

「薬の変更は重要なので、少ない量から試さないといけない。もっと悪くなるかもしれないが、それを想定しているなら入院ということになります。入院ならとても悪くなっても、スタッフが助けます」とのようなことを言われましたが、もう一度、頼むとなんとなく怒ってるように見えたので

 「・・怒ってるんですか」と言うと(19歳のときの第一番目の医者に質問したのと同じ質問)

 「怒ってはいない。助けたいと思っているが薬については・・・と説明しだしたんですが、私は医師と患者の間で、私は患者であるけれども私のことを一番良く知っているのは私で・・と思ったり、医師のほうが上の立場だから、逆らえないのかな・・・私は無力だな・・・と何となく無力感をかんじて、涙が出てきました。

 

 以前の病院では私が涙を流す直前に看護師がティッシュをくれるようなところだったんですが、その今日の病院は先生一人で、正面で向かい合い、ティッシュもないので、「これは現実社会においてうまく鍛えられるチャンスかも」

「まともな行動を診察室の中であってもとろうと自分でコントロールするようになるかも」

「甘えさせてくれる状況じゃないから、自然に甘えないで、論理的で明晰な脳みそで対話ができるかも」

「まともな人間の訓練ができるかも」

 と急にポジティブになり、先生のある一瞬のジェスチャーがかわいく思えて、笑いました。

 

 帰りのバスで、「いいチャンスかもしれない」と思って、希望を持っていますが・・・・

 

 実は、以前の医師は女で、その前は年配のクリスチャンの医師でした。

 

 今の医師はおそらく50代くらい(?)・・・私は彼をたぶらかすことができるか一瞬バスの中で考えていました。たぶらかしがいがあると思ったんですが、そんな馬鹿なことは自己嫌悪の新たな材料になることはわかっているので、考えないようにするでしょう。

 それに私自身を破壊する材料にもなりえるので・・・一瞬そんな考えが浮かんだだけです。

怒りのエピソードは色々です

色々とこの2,3年の間の様々な不幸(ある人に見捨てられたこと、2015年の夏から深層心理を専門とするカウンセラーに深層心理をほじくられて今も自己嫌悪と怒りとイライラに毎日襲われています)を思うと、イライラして・・

それと、部屋の掃除がどうでもよくなるので机のものをただ腕でわっとのけて床にすべて放り出して、床に物が散乱していたり、その結果、探し物が見つからずに時間を無駄にして更にイライラするという状況など、けっこうイライラがひどいです。

 

人前でかんしゃくを起こすほどではないですが、野球のバットか金属のバットで家具とかテレビとか壊れにくいものを壊れるまで打ち続けることができたらいいな、とか思います。電柱でもいいのですけど。

 

皿の上に残飯のような下手な料理のものが載っていると、風呂場に皿ごと投げて、割れてしまっても気に止めないだろうと思ったり。

 

でも最近お金の事をあまり考えておらず、買えばいいや、どうせ安い皿しか買わないしと思って、食べるたびに洗面所に投げつけて割ってしまったら、毎日皿やマグカップを割ったらスッキリするだろうな、なんて考えています。

 

イライラ、怒りを起こさせる人間を数人思い出すからです。

 

人のプライバシーを詮索してそれを他人に言った人とか、私のことをよく知りもしないで、「くらい性格の人」と別の人に話している以前の同僚とか、ニコニコしながら「そうです、痛いんです」(リストカットについて、私が「痛いから切らないと思う」というと、そのカウンセラーはニコニコしました。どこが面白いんでしょうか?

痛みを知らないのに知っているかのように、「そうです、痛いんです」といいました。

そんなのわかってるよ、あなたに言われなくても、と思いました。

それに、「そうです、痛いんです」って自分が切ったことなさそうなのに、なぜそんな言い方ができるのか、と思いました。

しかもニコニコしてました。

あなたはきったことがあるのか?

切ったことがないから、のんきに笑っていられるんだろう。

ここにカッターがありますよ、切って御覧なさい、全然笑えませんよ。

実際の痛みより、こころの痛みがひどくて。悲しくなりますよ。

そんな笑顔になんてなれませんよ」

と今電話して言ってやりたいと思うこともありますが、その行為そのものが自己破壊なのでしません。

その深層心理を扱うカウンセラーはいつものんきにニコニコしているので、私は不愉快な気分でした。

私の話がそんなに面白い?幸せな人だね。軽く扱わないでよ。

笑って聞ける話じゃないよね。

(そういう顔かもしれないですが。)

と内心思いましたが言いませんでした。

 

その人が人格障害者が嫌いだとすでにわかっていたからです。

 

なぜならこういうくだりがあったためです。

「あなたは本当にボーダーラインかなあ・・・発達障害じゃないのかな」

私の内心:

(よくこうやって数回しか合ってないのに判定できますね。出来損ないの思い込みの激しい人なんじゃないかな)

 

「人格障害者からうける、ウッとしたものがないから」

 

これってつまり、「ウッとしたもの」が嫌だという意で、すなわち、この人は人格障害者が「嫌い」というのがわかるのは誰にも明らかなことですよね。

いかにも嫌そうに「ウッと」と胸を押さえるジェスチャーをしてました。

私は自然と、(この人、発達障害の人のほうが人格障害の特徴がある人より好きなんだな。あるいは、発達障害のほうが優れてるとか思ってるのかな)と思いました。

そしてなんとなく、ボーダーラインぽくない(自分ですでにその特徴を自覚してますから)人間をしばらく演じましたが(相手の期待に応える性分でそうなりました)、結局のところ、激しい自己嫌悪で死にたくなったので、やめさせてもらいました。

 

医療事故だと思っています。

 

「発達障害の人は素晴らしい才能をもっていることがある」とか言ってました。

「私がボーダーラインと判明しだしたとしたら(このとき、私ははっきりとそれを医師から言われていませんでした。今見てもらっている医師に初めて色々な病歴を話した初回に「ボーダーラインかもしれないと私自身思っています」というと「そう私も感じます」と言われました。

入院の理由が2回とも人からの拒否を感じて、自分を傷つけているという点からそう思ったそうです。

拒否されて、自分はひどい最悪の見下げた軽蔑に値する人間だ。自分は馬鹿だ。

そう思ったんです。)

このカウンセラーは逃げたくなるのかもしれないな。わるいのに当たったとか思うんだろうな。つまり患者をえり好みしてるんだ。」と思いました。

 

発達障害の人と人格障害の特徴を

(実際これは「人格」の障害ではなく、症状の複合群があると私は本を読んでそう知識を得ています。人格が優れないという意味ではないのです。「医学上の病名で「人格障害」と言われている症状群の一部の特徴が見られる人」と認識された方がいいと思います。

 ネット上で偏見とかおかしい知識があふれていると思います。

「人格障害」がたまたまそのような医学上というか医学業界上のネーミングにすぎないですが、世間ではネガティブイメージがついていて、このカウンんセラーもそうなのかな、と思いました。

つまり偏見を持った人かな、と。

その時点ですでに信頼は崩れていたといえるので、早々にやめるべきでした。

しかし、ひきとめられて、少し続け、やはりおかしくなったので辞めた次第です。)

比べて、優劣判定をするような人は、(それをしてもかまいませんが、それを患者に感じさせるような人は、)本当に臨床心理士と言えるような人種なのかな、と思いました。

肩書きがそれでも、本物ではないな、と思いました。

 

 

<話題が錯綜してすみません>

<もとの話題にもどります>

 

新聞紙を丸めて机に思い切りたたきつければいいのかもしれません。でも同じアパート内の別の部屋の住人が何かおかしいと思うかもしれないので、できません・・・

ボクシングでもやったらいいのだろうかと思ったりです。

 

タイトルが「怒りのエピソード」ですが、「自己嫌悪のエピソード」も100個くらいあるだろうと思います。

 

昔の人のことわざで、長く生きるほど恥が増える。というのがあったのですが、まさに言い当てているなと思います。

わたしへの手紙

プラトンの考え。

・・この世に真の三角形はない。それはイデア界にある。・・・

 

三角形のような単純なものでさえ、「真」ではこの世ではありえないのです。

真・・・パーフェクト、理論上のものです。 

 

ならば、複雑多岐な人間というものが、完璧なんてことがありえるのでしょうか。

 

完璧を目指すのいいことだと思います。でも100であることが「価値」でしょうか。

70でも60でもそれは「価値が0」と思いますか?

 

真の三角形はこの世に存在することができない。真に近いものは存在できます。

土の上に描いた三角形は100ではなく70の三角形ですが、いちおうこの世にあります。

 

私たち人間も・・・完璧ではないからといって嘆き悲しむのは・・・生きている時間をしっかりと享受してないのではないでしょうか。

 

この世に価値などない。空しい。神も存在しない。

 

映画をみて感動したことは?

演奏を聴いて感動したことは?

人のやさしさを嬉しく思ったことは?

 

それらの時を思い出してみてください。

 

それらは本当に価値がないと思いますか?

その感動や嬉しさ、心が温まった瞬間に「こんなもの価値がない」と思えるでしょうか。

 

その瞬間を大事にすることが意味ではないかななんて思います。まずは生きている時間をしっかり享受しなくては・・・それからでも遅くありません。

価値がない、と決めてしまうのはあまりに早すぎる。