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Y子さんの日記

メンタル日記 ボーダーラインの症状、統合失調症など

今日の午前に思ったこと

さきほど、自分は今年は生きていよう、でも来年の今頃に、契約をしないで、自殺の準備をして、死のうと思いました。

 

私は、「彼氏に愛される」ということを8年以上経験していません。

 

その間統合失調症と言われていましたが、全然知らない人たちと関係をもってきていて、それについてなんとも思っていませんでした。

 

でも統合失調症がほぼ治っている(と思います)今、私は全然知らない人たちとの関わりに不満足を覚え始めました。

 

以前も不満足を感じていたのかもしれませんが、今は私の好きな人(友達(A))に来て欲しいという思いをいつも持っています。

 

彼ではないなら、嫌だと思います。時間が無駄ですし、どうせ不満になるし、病気になったりしても困りますし、性格が嫌な人だったら、嫌な経験になります。

 

(実際、全然知らない人たちの中で、思い出すと気持ち悪くなる人も数人(たぶん3~4人)います。というか、「自分」が侵略されているような、壊されているような、そういう経験をしたに等しいのではないか?レイプなのではないか?と思うこともあります。

 でもレイプ被害者ほどの強い痛みは全くありませんが、ただレイプされていたのではないかと思う節があるのです。

 あれはレイプなのではないか?と。

 でもあまり「レイプだ」とは思いたくありません。私は被害者でありたいとは思いません。私は自分から行ったんだから、自分の責任だと思いたいです。そのほうが楽です。 

 とりあえず、もう全然知らない人と関係をもつのはやめようと思いました。)

 

もう誰からも愛されないような気がするので、あきらめようかと思いました。

 

でもそれを思ったのは三十分前。

 

今は、新しい本の中の一つの言葉を思い出しました。

 

第一章しかまだ読んでいませんが、

「生き続けること!」

 

これはきっと神様からの言葉なんだと思いました。

 

(私はクリスチャンではありませんが、プロテスタント系キリスト教会の牧師から話を子どものころ聞いており、当時は神様を信じていました。

 今は別に日曜日に礼拝にいくわけではないのですが、危機的状況になると、突然神様という概念が私の心の中に現れて、

「ああ、神様がこうしろって言ってるんだな」

「神様が今の体験を与えたのは何か意味があるんだ」

と考える節があります。アメリカ人のような思考かもしれません。アメリカ人の気持ちは私はわかる気がします。同感のことが多いです。

 アメリカ人は自分が第一だと思っている、傲慢だ、とか言う人がいますが、私はそうは思っていません。ナイーブで純粋な側面があると思います。)

 

その本の第一章に、当てはまる項目がありますか?というエクササイズがありました。

ほぼすべての質問で、1.2.3.の答えのうち、3(程度が重い)がほとんど当てはまるので、「3が?個以上の方はボーダーラインパーソナリティの可能性がある」とのことが書いてあった気がします。

 

私はそのエクササイズをわざわざやる必要がないほど、自分が患者であるとわかっていますが、一応見たんです。

 

3.ばかりなので、少し気落ちしましたが、それを自覚するメリットは、「認め、治そう」「治し続ける」「この本を最後まで読む」という動機付けになるのかもしれません。

 

(ロレーヌ・ベル著 『自傷行為とつらい感情に悩む人のためにーボーダーラインパーソナリティ障害(BPD)のためのセルフヘルプ・マニュアル』)

 

とにかく希望を持ちたいですね。

 

前になかなか進まないですが

なかなか仕事が進みません。図書館の自習室に行って取り組みました。30分か40分は集中でき、そのあと、とてもストレスがたまること、そして嫌な記憶を思い出して自己嫌悪して苦しくなるのを抑えつつ、少しだけやりました。

 

私は今まで自分を甘やかしてきました。

 

でも失敗者とは、自分の能力を最大限生かさずに才能を埋もれさせて世間にも発掘されず人類に貢献できなかった魂を持った死者のことを指すと思っています(私の個人的な考えです。)

 

自分のできることをして、無駄な時間(特に依存症や、ネガティブ感情に支配されて苦悩する時間、怒りや悲しみ、寂しさの時間)をできるだけ排除したほうがいいと思います。そのためには色々、人それぞれ方法があるはずです。

 

私たちは、幼いころから色々な能力やスキルを身につけてきました。

他人への共感性、物事を完成させようとする希望、他人の期待に応えたいという思い、色々と私たちは才能があり、モチベーションがあるのです。

 

それに焦点をあてて、希望をもちましょうか。

 

私たちは存在するだけで喜んでもらえるときもあるのです。

 

対人関係で困ることがありますが、私たちが一人でも平気になること、や相手への期待値を下げること、自分でできるという自信をもつようになるまで、時間がかかるとは思います。

でもゆっくり目指しましょう。

失敗しても絶対にあきらめないで、辛い苦悩の時はその時一時だけで、いずれ消え去るかもしれません。自傷行為をイメージしたらとにかく、30分待ってみましょう。

キャンドルの炎を見たり、静かな湖水を思い描いてみてください。

花の香りをアロマオイルでかいだり、セルフ足裏マッサージ、化粧、スタイリング、爪の手入れ、(前回の記事のなかの著作からの内容です)色々です。

絵を描いたり、楽器を弾いたり。

コメディーを見たり。

何かとにかくやってみましょうか。イメージはできるだけイメージしないように、別のイメージに切り替えましょう。

30分後きっとほかの事に意識が向いて、ポジティブになってるのではありませんか。

 

私も仕事が終わるたびに自己批判がわいてきて、『あそこがダメだった、あれはムダだった、時間管理が悪かった、余計なことをしていた、」などダメだしを自分で自分に辛らつにしているのです。仕事中もしています。「あ、今のダメ」「なんてわざとらしい態度だ」「自分の話している内容がレベルの低い次元の話だ」

でも

自己批判→うつ状態 では無益です。時間の無駄、エネルギーの無駄、不幸感情の発生です。(でもどうしてもそこから抜け切れないなら、苦しみの意味を考えてみたらいいと思います。この苦悩は私に何かを学ぶチャンスを与えてくれていると、感謝してみましょうか。とても深遠なものに気がつき、文章にして人に見せたら、素晴らしい作品だといわれるのではないでしょうか)

 

そうではなく

自己批判→改善点の模索、解決法の創出

 

そのようにしてみたら、きっと次、うまくいくかもしれません。それにそのような改善の方法や解決法を考えることを私たちは楽しんでできるのではないかと思います。

 

宜しければご参考までに。今日もお付き合いいただきありがとうございます。

遠くからでも見守られていると思います

こんにちは。

さきほど思ったことです。

「現実は私が思っているほど酷なものではない」

 

私は自分にとって最悪の状況を昨晩から思っていました。

彼が背を向けています。

 

でもさっき、彼から返事がありました。私は意外に思いました。

彼は私と離れたほうがいい、といいつつも、私を遠くから気にかけているのかもしれないと思い直しました。

「あの人は私を見捨てた」

「愛想をつかされた」

「私に何の価値も見出さなくなった」

 

このような私の想像は間違っていたかもしれないということです。

 

私の中の治療本にありました。

「疑ってみましょう」

ということです。

 

(あなたの最悪の状況は、あなたの頭の中のイメージで、現実は違うかもしません。)

(あなたの想像が、本当であるかどうか疑ってみましょう)

 

との内容(引用ではありませんが)が書かれていました。

 

まさにそれだと思いました。

私の認知の仕方に誤りがあったと思います。

彼は私を嫌いなわけでも、価値がないと思ったわけでもない。ただ彼も繊細な人間だから私からの攻撃を受けたくなかったのだ。

彼にも彼の生活がある。生活費を稼ぐ、他の友人と交流する、一人の時間をもつ、別のことを考える、趣味の活動をする・・・・

 

私と同じように、彼にも彼の尊重されるべき生活があるのです。

 

私は彼が好きですが、四六時中考えているわけではない。仕事中、本を読んでいる時、運動している時、ニュースを見てるとき、私は彼のことをすっかり忘れています。

 

だからといって彼を愛するのをやめたわけではありません。

 

あなたの好きな人も、あなたを遠くから気にかけているかもしれません。

あなたに連絡がないからと言って、あなたへの愛情がなくなったわけではないかもしれません。

連絡がなくても、あなたを気にかけ続けることはできます。

 

ちょっと頭の片隅に思ってみてはいかがでしょうか。

少し痛みが和らぐのではないでしょうか。

 

(参考文献:タミ・グリーン著 「自分でできる境界性パーソナリティ障害の治療ーDSMⅣに沿った生活の知恵」)

この本については後ほどまた触れると思います。

 

ちなみに私はブログにあまり慣れておらず、機能を把握しきれていないこと

また、コメントを本当は受け付けたくないという希望を持っています。(それをやめる機能が見当たりませんが・・・)

自己嫌悪について

実は今あまり良い気分ではないのですが、記事を書いています。

私の自己嫌悪は小学校三年生くらいから始まったと思います。「あ、ばかだな」と心の中で思うんです。いつのまにか高校くらいになると、心の中でいつも「死にたい」と言うようになりました。

でも、実は、「死にたい」「・・・というのはうそ」と後半でポジティブにもっていくようにしていたんです。

今その「というのはうそ」が言えていません。いつのまにか、ただ「死にたい」だけになってしまいました。

自己嫌悪をするので、死にたくなるという一つのパターンです。(でもこれは本気で死のうとするほどの原因にはなりません)

自己嫌悪の原因は、かっこ悪く見えること、自分がうそを言っていたり演技をして相手をだましていること、自分の自信のなさが相手に見抜かれたこと、色々あります。

 

今私は自己嫌悪を感じています。なぜなら、私は計算高く、演技をしている自分がいやになったからです。

同時に、本当の私を誰も見てくれない、誰も支えてくれない、支えてくれた友達(A)は私に「離れたほうが自分たちのためだと思う」と言って、私から去った。連絡をしても返事しなくなった。

これが大きなダメージを私に与えています。

私は苦しみすぎていると思います。私の苦しみ方を彼が知ったら、大変悲しむだろうと思います。

でも私の苦しみはさきほど耐えがたく、床にうずくまってしばらく立つことができませんでした。私は薬を一錠飲みました。

 

この「頓服薬を飲む」という行動も私を自己嫌悪させるものです。そんな弱い人間、隠れて薬を飲んでいる人間ということに恥意識を感じるのです。

 

人からはどちらかというと、かっこいいと思われているのではないか、美しい、魅力的、と思われているのではないかと思うんですが、きっと私の弱さや自信のなさ、滑稽さ、馬鹿さ、未熟さ、幼さ、色々と見抜いている人間はいるはずです。

 

私はメンタルの弱い自分を非常に恥だと思っています。

 

繊細で、打たれ弱く、(実は統合失調症のときこれはありませんでした。人から罵声や脅しの言葉を言われても、何も怖くないし、平気でしたし、まったく傷つきませんでした。私は自分が図太い神経の持ち主だと思っていましたが、今思うと、そうではなかったのかもしれません。病気のせいでそうなってただけだったのかもしれません。
今は、人の痛みや人の怒りや憎しみなどがわかるようになりました。その感情が戻ったのは幸福ですが、それはそれで非常な苦しみを伴います。)強くない、もし軍隊などに入ったら、すぐへなへなになる、もやしのような男だと(私は女ですが)想像しています。

 

さて、このような場合どうしたらいいか・・・・単語帳を見てみるべきですが、今単語帳を開く気持ちにもならないので、書いています。

 

おそらく、自分が完璧な人間であるべきという考えを捨てること、自分の至らなさを受け入れることが必要だと思っています。

私は完璧を愛しています。

完璧なものは美しいと思っています。

私は音楽演奏をしますが、音楽演奏をいつまでもしたいと思う理由は、完璧が大きな目的地だからです。

そこに到達するために、努力をすることが好きなのです。私は、自分の中に成功のイメージをもっています。

ステージで素晴らしい演奏を披露し、客を感動させ、客が生きる希望を見出すような、喜びを得るような、そういう演奏をする自分をすでにイメージしています。

そしてそのために私は頑張るのです。

今少し気分がよくなり始めています。書く事によって気分がよくなり始めています。

 

幸いだと思います。

 

高校時代も受験勉強をしながら、いつも日記(と言うか自分の思考をノートに書き続ける、自分の一日の行動日記ではありません)に時には三時間ほど、何十ページも書き続けたのです。

 

当時、リストカットを時々(怒りを抑えるため)していたので色々と考えていたのです。

私は思考することが好きでした。正しいものについて考えること、自分の悩みの解決法を考えること、世の中の問題を解決する事について、考えていました。

 

民族対立や紛争、自爆テロなどの話題がすでにあり、私はその人たちと交渉によって平和解決するには、どのような言葉が有効なのかを考えていました。

 

 

 

金曜日の診察まで、うまく生きる自信がさきほどありませんでした。

今日は火曜日、まだ、水曜日と木曜日があります。

この二日間をまずハッピーに乗り切ることが当面の課題です。

 

実は、職場の人に言われました。「自分に対する要求がとても高いのはいいことだが、完璧にできないのは当然なので・・」私はすでに見抜かれていました。

 

私はとりあえず、一人で部屋にいると、誰も見ていないので、泣いてしまうし、気分が沈黙してただ黙ってボーっとしてしまうし、お菓子を食べて気持ち悪くなるか、私にはよくないお酒をのんで、何か良くないことを友達や趣味の仲間や昔の同級生などが含まれるSNSに衝動的に書いてしまう危険があるので、外で仕事の準備をしました。

 

外でも、椅子と机に座り、机にふせて、起き上がらなかったり(30分ほど)しましたが、自分を周囲にいる環境をすると、自動的に、いやでも仕事にとりかかることができます。

 

人目があるので、声をだして泣きません。

(ですが、二週間前、すべてが終わりに思えて、人から愛されない、誰も愛してくれない、誰も気にかけてくれない、一人で解決しなければならない、誰にも本当の私を見せられない、本当の私を見せたら彼は離れようとした、と思うと、涙が出てきて泣いてしまいました。

 曇りで少し寒い天気だったので余計にそうなったんです。持ち帰りの鶏肉のからあげを待っているときでした。

 鶏肉のから揚げも何か寂しいものを感じさせましたし、待ち時間がとても長いので、辛い気分でした)

 

幸い、今日は30分から40分かなり集中的に仕事に取り組めました。

でも完ぺき主義で、細部にわたって考えるために、進みは遅く、

「効率の悪いダメな人間」と思いました。

 

でも、一応、辛い失恋の気分の中で、30分でも人のいる環境に無理やり自分をもっていき、泣かずに仕事に取り組むことができた自分をほめます。

そうして自分への肯定的な感情を小さなものでも、毎日積み重ねていきたいと思います。

 

自分の行動は不自然で、演技じみていて、いやだと思いますが、人から嫌われているのではないかと思ったり、今日は仕事でちょっと不安を感じさせる(同僚から憎まれないかという心配です)出来事がありましたが、今のところ、職場では何も失敗していない。

 

(体調不良といって三日ほど出勤できなかったことがありますが、その原因は大量服薬でした。体調不良と言うだけで、職場は深く聞いてきませんでした。ただ休んでください、といたわってもらったので、とても今の職場には感謝しています。それに数ヶ月前に統合失調症(そもそも軽度の陰性症状です)が消えたので、仕事の出来が格段によくなり、評価があがりました)

 

しかしパーソナリティ障害のもともとの特徴が再発しだしたので、不安定ではありますが、職場には何も気がつかれていないようです。

 

今日、お疲れ様でした。

 

読んでくださっている方へ。お付き合いいただきありがとうございます。

 

明日も素敵になりますように。

ゆっくりとお休みください。

雑感

こんにちは。お元気ですか。

私は一人暮らしなので、朝起きた時に「おはよう」といえる相手がいません。寂しく思います。

でも隣の部屋の人が毎朝必ず七時に出て行く音を聞くので、あ、また今日も仕事だなとわかります。どんなにひどい気分でも朝七時にきちんと出て行くんだろうな、と思い、少し尊敬しています。

7時に出て行く音を聞いたときに、なんとなく安心するような気分です。

朝起きた時、いつも「どうしてこの部屋に住んでるんだろう」「ここは本当に私がいていい場所なのか」「この町に住んでこの仕事で生きていて、いいのか」と思います。

でも昔統合失調症だったとき、仕事がどうしても見つからず、バイトにも受からず、水商売の日雇いの仕事をしていたの(数年前までこのことでずっと傷ついていましたが、今人にものを教える仕事をしているので「色々な経験してるほうが先生としていいじゃない」とお医者さんに言ってもらったのを考えると、どうでもよくなりました)今とても恵まれていると思うのです。

統合失調症のときは、いつも緊張し、感情を失い、集中力も失い、注意散漫で、人に共感できず、笑うべきところで笑えず、極度に自信がなく人に利用されたりして、辛かったですが、今境界性(最近の思うのは演技性も合併しているかもしれない)パーソナリティの症状があるものの、自信をある程度取り戻し、感情も取り戻したので、仕事は単純作業ではなくとも、できます。

幸いだと思います。そして教育の仕事が私に合っているとも思います。

給料は多くないですが、生きてもいけます。恵まれているほうだと思います。

今日のこと

毎日毎日泣いてばかりなのですが、今日はお昼に一人で部屋で一時間くらい泣いて、午後五時くらいにまた一時間くらい泣きました。

友達(A)は私と完全に縁を切ったほうがお互いのためだといって、私から離れたからです。今日の朝そのようなメールをもらいました。

そうか・・・やはりそうなんだ。

と、その現実を受け入れるしかないと思いました。

そしてもう(A)のことは考えないで、なるべく忘れるか、意識を別のところに向ける(ニュースや社会問題などのテレビ・ラジオ放送を聞く、楽器を弾くなど)ようにして、彼を一人にしよう、私も彼のことをいつまでも考えないようにして、「離れた」「失った」現実をそのつど思い出すたびに受け入れようと思います。

泣いている時、辛くてたまらず、その時が永遠のように思えます。このときが臨終の時で、薬を飲んでしまおうか(でも週一の診察なので死ぬ事はないでしょう)、高いところへ行って飛び降りてしまおうかと考えてしまいますが、私は今取り組んでいる大好きな曲があるので、その曲のことを考えて、楽譜を見て、それを演奏することを想像して、元気になりました。自然と、あの曲を弾きたいと思うので、その楽しい気持ちを思い出すのです。

そんなこんなで一時間くらいで泣き止みます。

永遠に思えると思います。でも大丈夫です。しばらく30分でも1時間でも待ちましょう。いずれこの波は去ると思うようにしたらいいのではないでしょうか。

それと、私はひどく泣く時、熱いシャワーを全身から浴びます。腰や背中の痛い部分に水流を当てます。

私はプール施設が好きで、ジャグジーやサウナに入るのも好きです。

でも彼が離れていくことを考えて悲しみ、泣き始めると、心がとても痛みを感じ耐えられなくなったので、身体を傷つけ、その傷がプールで染みるし感染したら困るので、しばらくいけませんでした。

薬は後遺症や次の日の仕事に支障をきたすのでもう飲まないつもりです。

傷は・・・すぐには治りません。私の自己治療本によると、「衝動を過ぎ去るのを待ち、赤いペンで身体に傷の代わりに傷を書きましょう」とあります。少し気が楽になるかもしれません。

最近は、失恋を一ヶ月ほど前から経験しているので、ある時ふと、涙が出てきます。バスの中で出ることが多いです。誰かの胸にすがって泣きたいと思いますが、我慢しています。

枕を抱いて、泣くこともあります。

泣き出すと一時間くらい止まらないこともありますが、いつのまにか、ボーっとしていて、ドラマを見たり、動画サイトで、昔好きだったバンドや歌手の曲など音楽を主に聞きます。

時々映画やドラマも。シリアスドラマが私には気をそらすにはとてもいいです。色々と考えさせられるからです。

同じ気持ちの方も、何か気をそらせるものを探して、健全な行動をリストアップして紙に書いておいて、どうしても自傷しそうなときは、それを見てみるのもいいと思います。

単語帳に書き留めておいて、常に持ち歩き、それを見るのもいいと思います。

いかがでしょう。もしよかったらご参考にしてください。

このブログについて

どうしてブログを開設したかというと、

・ちょっとした気持ちを表現したい

・同じ症状を持つ人に何か役立つことをしたい

・私の回復のプロセスについて参考になればうれしい

などからです。

 

メンタル以外のことは極力書かないつもりです。私個人が特定されないためです。

統合失調症に数年なっていたと思いますが、今私の判断では治りました。

あとは、境界性パーソナリティの症状があまり出ないように、生活に影響しないようにすることを目指しています。完治ということはあまり考えません。

とにかく日々満足して人と共存して生きることが目的で、それは病気の人に関わらず、一般的な目的です。

 

書きたくないと思っている事について。

なるべくネガティブ感情を連鎖させるようなことは書きたくありません。

あくまで役に立ちたい気持ちが主なものです。

ネガティブな時はあまりこのブログには近づかないようにしようと思っています。

 

あと、ネット依存になりたくないので、ブログを放置することもありえるかと思います。どのくらいの人が見ているのか気になると思いますが、なるべくそれもあまり考えたくありません。

 

何か良い事を思いついたら来る、程度かもしれません。

コメントはあまり頂きたくないような気がしています。どうしても何か伝えたいと思ったときだけコメントをしていただいてもよいですが・・・・。

 

ただ、なんとなく寂しい時にきて、カテゴリー「ちょっとした気持ち」に何かを書くことはあるかもしれません。

 

宜しくお願いします。